日常の中で、
思うこと、
感じたこと、
ささやかな出来事を、
気の向くままに書きとめています

note.02 2011.09.27
陶芸のこと
最近、陶芸を始めました。
きっかけは亡き母の骨壺づくりでしたが、以前から興味があったこともあって、時間のある時に本格的に教室に通うことにしました。

建築の設計ではスケッチする時にはペンを、図面作成にはCADを使います。
そして模型を製作する際にも、多種多様な道具を用います。
現場は特にそうですし、考えてみると、建築を手がける際には、何かしら手に道具を持っているのですよね。
でも陶芸は違うのです。
自分の生身の手がすべてであり、その時の頭と心と体の具合がそのまま手に伝わり目の前の土に表れる、そんな印象を持ちました。
しかも、完成の姿が自分の思い通りにいくとは限らない。
最後は火の力であり、自分の意志ではどうにもならない、届かない世界なのですから…。
だからこそ、奥が深いものなのでしょう。
ふと、楽茶碗の当代吉左衛門氏がある本の中で語られていたことを思い出しました。
陶芸には、造形はもちろんのこと、成形の工法、土や釉薬の種類、釜の温度や焼き具合など、工程ごとに様々な技術や知識の積み重ねがあって、初心者の私はまだ入口に立ったばかり。
集中して無心になって土を触っていると、小学生の頃に夢中になっていた泥ん子遊びが懐かしく蘇ってきます。

初めての作品は、地元三河の赤土を混ぜた土を使い、飯茶碗と花入れを作りました。
最大の目的である骨壺は、繊細な表情も出せたらと思い、粒の細かい滑らかな信楽の白土で製作中。
今は素焼き待ちです。
いつか建築から食器まで、自分で作れるようになりたいものです。




note.01 2011.09.19
美術館あれこれ 
連休を利用して、東京に数日間滞在してきました。

旅先で必ず行きたくなるのが美術館などの文化施設。
今回は、以前から訪れたかった多摩美術大学図書館(伊東豊雄氏設計)へ。
精悍とした佇まいから醸し出される凛とした空気に、心が開放されました。
自然の森から連なるようなアーチの空間は、学生の思い思いの行為を受け止める木陰のようです。
また、2階の閲覧室では外部の木々が揺れる影とカーテンのアーチ模様が相まって、光のリズムを奏でているかのよう。
天井が高く、目前に広がる緑の風景と自然光を十分に採り入れた大空間は、森の中に居る心地良さを存分に味わわせてくれました。
細部に至るディテールの積み重ねがこのような空間を創り出していることを再認識する一方、力のある空間はそれすら気にとめなくなってしまうくらいのものであるということを改めて感じる体験となりました。

多摩美術大学図書館(伊東豊雄氏設計)


翌日は根津美術館(隈研吾氏設計)とちひろ美術館(内藤廣氏設計)へ。

広大な敷地のなかにゆったりと構える根津美術館は、軒先のディテールのシャープさが存分に発揮され、端正な表情をつくっています。
軒先は馬頭広重美術館を想起させ、またさらにそれよりも重厚感を増している印象でした。
建物内外ともに、素材の巧みな組合せから生まれる豊かな空間でした。

対比的に、ちひろ美術館は小規模な個人美術館です。
以前訪れた安曇野の美術館が良かったので、こちらにも足を運びたいと思っていました。
この東京のものは、生前の住居兼アトリエを増改築している程度の小さなものです。
周囲の住宅地に建物も緑も溶け込み、いわさきちひろの作品に見られる、氏の子供を描く温かい眼差しを映しとっているかのような優しい佇まいでした。
エントランスの庇は高さがぎりぎりに抑えられ、子供のスケール感を意識させられるものとなっています。
緑の庭も小さなものですが、ほどよく気持ちの良い場所となっています。
増改築ということで設計できる内容も限られており、決して華やかな美術館ではありませんが、長居をしたくなる住宅のような空間でした。

根津美術館(隈研吾氏設計)


ちひろ美術館(内藤廣氏設計)

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